2011年

6月

20日

同じなんです

東日本大震災の被災された人と、自分たちって何も変わらんです。

 

どうも初めまして、城と申します。

 

6月19日、

ふんばろう東日本支援プロジェクト@岡山県情報ステーション(以下、「ふんばろう@岡山」)のメンバー4人(大浦さん、京極さん、鈴木さん、城)が集まり、山陽新聞さんに取材してもらいました。

 

私は岡山から日本全国の人々に伝えたいことがあったのに、上手く伝えられなかったので、このブログで伝えようと思います。

 

伝えたいことは2つ。

 

①被災された方と私たちって同じなんです

②1人でも多く、東日本のサポーターになってほしい

 

 

<①被災された方と私たちって同じなんです>

家に住めなくなったり、

水・ガス・電気が使えなくなったり、

食べ物がなかったり、

家族や友達が亡くなったり、

そんなことがなかったら、普通に生活していたんです。

 

3月14日、私は震災後に初めて宮城県に行きました。

岩沼市役所でボランティアをしていたんですが、

初めて話しかけたおじいさんが偶然にも岡山出身の方でした。

 

そのあと、市役所の人、

『歩道の凸凹でつまづいてを怪我した』中学生、

『目を真っ赤にして憔悴している』市民会館の職員さん、

『被災されているのに』一緒にボランティアした兄ちゃん・姉ちゃん、

小学生や『荷物をたくさん抱えた』お母さん・お父さん、

『家をなくした』タバコをくれた同い年ぐらいの兄ちゃん、

 

色んな人に会ったけど、『』がなければ、

岡山駅周辺ですれ違うような人ばかりだった。

 

違うことは1つだけ。大震災の被害を直に受けたか、受けなかったか。

 

私が個人で支援していたときのことで忘れられない感情がある。

 

「あそこはダメだった。幼稚園生がみんな流されてしまった。」

 

3月15日に、とある老人ホームで会話しているところを聞いた。

 

 

言葉では表せない感情が溢れた。

4月、5月のことは忘れてしまったのに、

3月、特に一人で活動をしていたときのことは、昨日の話の様に思い出せる。

 

3月19日、AMDAの派遣員として活動を始めるために岡山市に行った。

喫茶店で昼食を取りながら、個人活動の記録をメモしていた。

 

幼稚園生ぐらいのこどもがお母さんと笑顔で楽しそうに食事をしていた。

言い様のない感情が込み上げてしまった。

 

大切な人の命が突然、失われてしまったらどんな気持ちだろうか。

友達と遊んだり、家族でご飯食べたり、デートしたり、

英語の分詞構文や数学の三角関数で悩んだり、部活動がつらかったり、

初めての引っ越し・社会人生活を迎えるのにドキドキしていたり、

長年使っている職場で機械や道具を手足の様に使ったり、

家に帰ってきて迎えてくれる人がいたり、温かいお風呂が用意されていたり、

田植えに備えたり、その田園風景を楽しみにしたり、

そんなありふれた日常生活が消えてなくなってしまったら、どう思うだろう。

 

「被災者」という名前の人間はいない。

被災された方も、私やあなたと同じ、1人の人間であることに気付いてほしい。

 

 

 

<②1人でも多く、東日本のサポーターになってほしい>

「行く」とだけ決めて、3月12日に岡山の新見市を出発した私ですが、

お金はあっという間になくなりました。

15万円は使った。何だかんだで20万円以上は使ったと同じだろう。

 

個人の限界などする来ると思っていたからAMDAに登録したが、

今度は自分の体力の限界が来た。

 

他にも理由があったが、

4月から岡山で、農業の研修生として普通に仕事して生活を送っている。

年収が200万円に満たない自分にはこれ以上出せるお金はない。

支援するがために自分の生活を壊したら、きっと被災された方に迷惑をかける。

 

だからお金をこれ以上使えない自分は、

微力ながらもブログやツイッターで伝える活動をした。

 

5月中旬には「ふんばろう東日本支援プロジェクト」に参加して、

岡山にいながらもパソコンを駆使することで支援活動を続けている。

 

そうする前から気づいていた事実が2つある。

・岡山にいるからって、怒ったり悲しんだり泣いたりしても何にもならない

・自分1人じゃ被災された方々を助けられない、支えられない

 

今でもたまに、どうしようもない怒りや苛立ち、悲しみや無力感に襲われることがある。残念ながら岡山にいて、怒りをぶつけようが、泣き叫ぼうが、何の足しにもならない。

必要なのは一つ一つ小さな結果に結びつける行動なのだから。

 

…ちなみに被災地で無闇に感情を吐露するのは絶対ダメだけどね。

幸いにも友人も知り合いも無事だった自分が、

何で、もっと泣いたり怒ったりしたいのに前へ進もうとしている人たちの前でわめかなきゃならんのだ。

 

また残念なことに、自分1人の力なんてたかが知れている。

現に私のお金はなくなった。

20万円ぐらい使ったのに宮城県の方に届けた物資は7,8万円程度だ。

 

しかし、それは3月の話。

今は郵便局も宅急便も使える。少なくとも物は届けられる。

3月、私1人では7,8万円程度の物しか届けられなかったが、

今、1000万人が百円出せば、10億円、

これを1年間、毎月続ければ120億円が集まり、

送料を差し引いてもざっくり、100億円分ぐらいの物資を届けられるんじゃないかな。

 

労働力もそうだ。

私1人じゃ、冷蔵庫も持てないけど、2人いれば持てるし、

100人いれば50か所で重いものを持つ作業ができる。

 

とにもかくにも、1人ではどうにもならない。

 

私と同じことをして欲しいなどとは言わない。

けれど、

何か1つでも被災された方のためにできることをして欲しい。

 

ボランティアって言うと、幅が限定されるから、

サポーターになって欲しい。東日本を一緒に支えよう。

 

 

 

こんな稚拙な文章しか書けない自分です。参考までに

ふんばろう東日本支援プロジェクト http://fumbaro.org/

3/12-31 私の被災地支援活動 http://bit.ly/lZ37dD

マイブログ http://joe-no-joe.seesaa.net/

 

マイブログを見てもらえれば、こんな人でも何かやっているんだから、

自分はもっとできる!って思えるはず。

 

何かありましたら、上にある「お問合わせ」からご連絡ください。

東日本支援に関することであればできる限り対応しようと思います。

 

私にも、あなたにも、被災された方にも、

朝は来る。時間は待ってはくれない。だから私は行動します。

 

長文になりましたが、このブログを読んで、

何か1つでも気づきがあれば幸いです。

 

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2011年

6月

09日

遠くにいてもできること

震災の100か日供養が行われ、101日目となった6月19日、ふんばろう東日本支援プロジェクト@岡山グループ(略して、ふんばろう@岡山)のメンバーが初めて一堂に会しました!

 

それまで個々に支援活動を行い、存在は知っていたものの、顔合わせは初めてという方同士。さすがに刺激の多い初顔合わせでした。

この日を、ふんばろう@岡山の新たなスタートとしたいと思います!(勝手に)

 

そして、このブログを訪ねてくださってありがとうございます<(_ _)>

 

ありがたい皆様なら百もご承知かと思いますが、

このHPから呼びかけたいことを、改めて書かせていただきます。

 

3月11日から、はや3か月以上が経ちました。

 

このたびの震災で被害にあわれた方、関東~東北3県にご家族、ご親類、ご友人がいらっしゃる方のご心中やご苦労は如何ばかりかと、お見舞い申し上げます。

 

ここ岡山の地には、生活が根底からひっくり返されるほどの影響はなく、ほぼ震災前と変わりない生活や仕事に追われる毎日が続けられる、あたりまえの幸せが続く環境があります。

その環境の中で伝え聞く、家も思い出もすべて津波によって流され、家族や親しい人を失い、住み慣れた町そのものが跡形もなく壊滅した被災地の窮状、あるいは、土地も家も地震の被害は免れたのに原発事故によって故郷の生活を断念せざるをえない理不尽さに、心を痛め続けておられる方、募金の行方や行政にもどかしさを覚えつつ確実な支援の方法を模索されている方もいらっしゃると思います。

 

被災地の方が最も辛いことは、忘れられることだと言われていました。

 

まずはそうして、被災地への関心を持ち続けること、応援の気持ちを忘れないでいましょう。

 

そして、その想いを、

今の生活の中でもできる支援という形で、避難者へ届けてみませんか?

“必要なものを必要な分だけ必要な人に送る”

「ふんばろう東日本支援プロジェクト」への参加も、確実な方法の1つです。

 

私も、岡山という遠くの地からでもなにかできないかという思いの中で、

これなら確実な支援ができる、と参加し、何度か物資を送った中でご丁寧なお礼のお葉書をいただきました。そして、1つのモノと一緒に応援の気持ちが届き、生活の不便さが少しでも和らぐ以上に、助けられているという気持ちを実感できることが被災地の方を支えるということがわかりました。

 

いま多くのボランティア団体が各地から支援の手を差し伸べていますが、生活再建という、1人1人千差万別のニーズに対応する細やかな支援が行き届くには、まだまだ足りません。

被災者を支えるということは、1人1人を支えることからなんだと私も思います。

「できることを、できるところで、できるだけ長く」を全国の1人でも多くの方が行うことで、1人でも多くの避難者が、心折れることなく復興への道のりを歩んでくださればと思います。

 

国難という、この度の震災は、直接被害を受けなかった地に住む自分たちにとって決して対岸の火事ではなく、共に乗り越えるべき喫緊の試練だと思います。

 

被災地の方を支え、一緒に歩み続けて、きれいな水と空気、安定した経済基盤、海の幸、山の幸、美しい景色が日本のどこにいても受け取れる幸せを、ずっと残していきたいですね。

                              by 大浦

 

 

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